2013年 11月 11日
蛇島上陸してきました |
桃ヶ池の大蛇伝説は、知る限りいろいろな微妙に違う伝えが伝わっています。
蛇の大きさや、封じた人物、場所、等々は微妙に違った話があるようです。
聖徳太子が封じたことになっていたり、聖徳太子の使いが封じたことになっていたり、
また、退治したという話になっていたり、そうではなく、池の浮き島に死体があがり、それ住民の訴えを受け聖徳太子が供養したというような話になっていたり
民話ですから、バリエーションがあります。
また、現在に連なる神社創建に大きく関わると思われる「角田某」なる人物についても、神社や地元伝と、外部の資料で食い違いが見られますが、それはさておき
角田氏が、大蛇を供養した地にある「おろち塚」の北1丁の位置に祀ったという伝えとなっており、また「おろち塚」は、昭和はじめまで現存していたといいます。
これを信ずるならば、神社の当地は、蛇を封じた地点とイコールではないことになります。
南に1丁の浮き島ということですが、どこに当たるのか?
一番可能性が高いのは、現在も南にある島。地元では「蛇島」と呼ばれてきています。
しかし古地図を見れば、過去には昭和中学のグラウンドなども池ですし、池内にいくつか島があるようです。
蛇島向かいの広場になっている部分も過去には島のようになっています。こちらの可能性も。
昭和8年に桃ヶ池公園が整備され開園で、その際撤去されたとすると、昭和はじめまで現存というはなしも信憑性があるように思います。
現在境内に、灌漑の記念碑がありますが、これも護岸などの工事で撤去されて、こちらに移したとのことですので、公園整備に伴って撤去されるということは十分ありうると思います。
(ついでに言えば、境内にある由来不明の数々の神仏の石なども、元々池の沿岸各地にあったものが公園整備に伴い撤去され持ち込まれ、集約された可能性もあろうかと思います)
前置きが長くなりました。
このたび、大阪自然史博物館の研究者による、蛇島の植生調査が行われ、同時に公園愛護会有志による清掃が行われました。
上町台地の植生を調べる上で、人の手が入っていない環境というのは、元来の上町台地のありようを調べる上で貴重ということのようです。
「おろち」塚や、人工物ははたしてあるのか?上陸してまいりましたよ!
結論から言うと、おろち塚や、信仰に関わるものはなにもありません。
しかし、人工物というはなしについて言えば、頂上付近に、明らかに人工と思われる四角い大穴が空いていたり、積もった落ち葉をどけると、階段状というか溝というか、人工でできたとしか思えない構造がたくさん見られました。
お年寄りらに聞くと、戦時中にサーチライトが置かれたらしいなどのはなしがあり、それに伴うものなのでしょうか?
けど、頂上の穴がはそれにしても、壁面の謎の溝や階段構造は関係ない気も。古墳だったりして。
蛇の大きさや、封じた人物、場所、等々は微妙に違った話があるようです。
聖徳太子が封じたことになっていたり、聖徳太子の使いが封じたことになっていたり、
また、退治したという話になっていたり、そうではなく、池の浮き島に死体があがり、それ住民の訴えを受け聖徳太子が供養したというような話になっていたり
民話ですから、バリエーションがあります。
また、現在に連なる神社創建に大きく関わると思われる「角田某」なる人物についても、神社や地元伝と、外部の資料で食い違いが見られますが、それはさておき
角田氏が、大蛇を供養した地にある「おろち塚」の北1丁の位置に祀ったという伝えとなっており、また「おろち塚」は、昭和はじめまで現存していたといいます。
これを信ずるならば、神社の当地は、蛇を封じた地点とイコールではないことになります。
南に1丁の浮き島ということですが、どこに当たるのか?
一番可能性が高いのは、現在も南にある島。地元では「蛇島」と呼ばれてきています。
しかし古地図を見れば、過去には昭和中学のグラウンドなども池ですし、池内にいくつか島があるようです。
蛇島向かいの広場になっている部分も過去には島のようになっています。こちらの可能性も。
昭和8年に桃ヶ池公園が整備され開園で、その際撤去されたとすると、昭和はじめまで現存というはなしも信憑性があるように思います。
現在境内に、灌漑の記念碑がありますが、これも護岸などの工事で撤去されて、こちらに移したとのことですので、公園整備に伴って撤去されるということは十分ありうると思います。
(ついでに言えば、境内にある由来不明の数々の神仏の石なども、元々池の沿岸各地にあったものが公園整備に伴い撤去され持ち込まれ、集約された可能性もあろうかと思います)
前置きが長くなりました。
このたび、大阪自然史博物館の研究者による、蛇島の植生調査が行われ、同時に公園愛護会有志による清掃が行われました。
上町台地の植生を調べる上で、人の手が入っていない環境というのは、元来の上町台地のありようを調べる上で貴重ということのようです。
「おろち」塚や、人工物ははたしてあるのか?上陸してまいりましたよ!
結論から言うと、おろち塚や、信仰に関わるものはなにもありません。
しかし、人工物というはなしについて言えば、頂上付近に、明らかに人工と思われる四角い大穴が空いていたり、積もった落ち葉をどけると、階段状というか溝というか、人工でできたとしか思えない構造がたくさん見られました。
お年寄りらに聞くと、戦時中にサーチライトが置かれたらしいなどのはなしがあり、それに伴うものなのでしょうか?
けど、頂上の穴がはそれにしても、壁面の謎の溝や階段構造は関係ない気も。古墳だったりして。
by momogaike-myojin
| 2013-11-11 22:50
| 日々の様子